奇門遁甲の由来
本来、奇門遁甲は兵法の奥儀とされていました。太公望・張良・諸葛孔明等<の名軍師達は、この術の達人であったと言われています。彼らは、遁甲の奥儀を駆使して、戦において連戦連勝であったと伝えられています。
伝説によれば、奇門遁甲は太古のむかし黄帝という伝説上の王が、蚩尤という王を討伐に行きますが、黄帝の軍は蚩尤の軍と蚩尤のあやつる妖術に苦戦を強いられていました。そこで黄帝が壇を作り祈ると、夢に九天玄女があらわれ三巻の遁甲の書を授かったとされ、以後、太公望・漢の張良・蜀の諸葛孔明へと伝わったとされます。
史実的には、後漢書にすでに九宮の説があり、5世紀の南北朝時代の文献には遁甲の名前が見られますから、相当に古い時代からあったことは、間違いないようです。
中国では、この術を知ろうとするものは、一族皆死罪という大変な罪でした。日本においても、江戸時代では奇門遁甲の本を持っているだけで打ち首と、厳しい刑であったと言われています。
かつての封建時代では国家を脅かす術として、時の権力者に恐れられた奇門遁甲ですが、今日では兵術としてではなく、積極的に人生を勝ち抜く開運の術の奥儀として活用されています。
名前の由来
奇とは「尊い」という意味。
奇門とは三奇、すなわち3つの吉門。
奇門遁甲とは「尊い門には甲(神様)が隠れている」という意味。
■関連項目
o奇門遁甲
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解説終了
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